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田窪恭治氏が手がけた「林檎の礼拝堂」|ノルマンディーでの再会と授与式

  • Hiroko 
  • 6月8日
  • 読了時間: 7分

更新日:6月9日

田窪恭治氏とりんごの礼拝堂にて
田窪恭治氏と2026年 礼拝堂にて


2026年6日6日、私にとって人生で忘れられない出来事が一つ増えました。

南ノルマンディーの「地域遺産」とも言える「りんごの礼拝堂」で、偉大なアーティスト「田窪恭治氏」のメダル授与式展に参加させていただきました。


今では多くの日本人観光客の方の観光スポットでもある「りんごの礼拝堂」

 

私自身も、ここスイス・ノルマンディーに移り住んだ2013年、初めてこの礼拝堂を訪れた時の感動を、今でも鮮明に覚えています。

 

当時、観光カウンセラーとしてフランスで労働省認定の免状を取得し、起業したばかりの頃の私は、この特別な場所をどのようにツアーに取り入れれば良いのか、長く悩んでいました。

 

「本当に自分のような者が、この場所をご案内して良いのだろうか」

 

そんな、自分の力ではどうにもならない葛藤を抱えていた時、思い切って田窪恭治氏へ直接ご連絡を差し上げたのが、2013年のことでした。

田窪恭治氏と2013年
田窪恭治氏と2013年


天と地ほどの差がある私のような存在にもかかわらず、田窪氏はとても丁寧に、そして温かく迎えてくださいました。以前のブログにもそのことを綴っておりますが、田窪氏の真摯なお人柄と優しさに触れ、不安だった気持ちが静かに救われたのを覚えています。



静かな田園風景の中に現れる、小さくも力強い存在感。


 

礼拝堂を包み込む大自然の風景、ガラス瓦から差し込む柔らかな光、そして空間全体に流れる穏やかな時間――。

そこには単なる「礼拝堂」という建物を超えた、人の心を静かに揺さぶる「特別な世界」がありました。

 

春 礼拝堂の入り口
春 礼拝堂の入り口

実際に訪れたお客様が同じように感動してくださっていることを知り、あの時自分が感じた気持ちが、時を超えて多くの人へ繋がっているのだと胸が熱くなりました。この礼拝堂は、地域の宝であると同時に、人と人、感動と感動を結び続ける場所なのだと改めて感じています。


そして年月を重ねた今、2026年6月6日・メダル授与式という特別な場に立ち会わせていただけたことに、不思議なご縁と深い感謝の気持ちでいっぱいです。

 

礼拝堂 外観
礼拝堂 外観

この「授与式」へのご縁も、不思議な流れからでした。

 

ことの始まりは、2026年2月に頂いた1通のお便りでした。

りんごの礼拝堂を見学されたお客様が発信されたSNSビデオが「17万回再生され、ネットニュースにも紹介される」という、素晴らしいニュースを頂いたのです。(詳細⇨Media欄

「ぜひ礼拝堂アソシエーションの会長さんにもお伝えしたい」――そう思い、連絡を取ったのが4月のことでした。

 

さらに5月、日本からのお客様をご案内した際、会長さんから

「今、田窪恭治氏がフランスにいらしているのよ」

というお話を伺いました。

 

「礼拝堂にもいらっしゃるのですか?」とお聞きしたのですが、その時はまだ、この式典のお話は決まっていなかったのかもしれません。

 

礼拝堂の誕生や再生に関わった当時を知る方々も、今では多くが旅立たれています。

だからこそ、「この場所の歴史をもっと深く学び、きちんと未来へ伝えていきたい」――そんな想いが、私の中で少しずつ強くなっていました。

 

そして、その想いを行動へ移そうと動き始めた矢先、

田窪氏のメダル授与式が行われるので、もしお会いしたければ、是非あなたもいらしてください

と、ご招待を頂いたのです。

 

それは、授与式のわずか4日前のことでした。

前市長さんと田窪氏 式典の様子
前市長さんと田窪氏 式典の様子

私の手元には、2013年に田窪恭治氏からサインをいただいたご著書があります。


何度も何度も読み返しながら、当時のご苦労や、礼拝堂修復へ込められた想い、その過程で積み重ねられた年月に思いを馳せてきました。

 

今でこそ、フランス在住の日本人や留学経験を持つ日本人の方は多くいらっしゃいます。

 

けれども、田窪恭治氏のように、異国の地でこれほど大きな偉業を成し遂げられた方は、本当にほんの僅かだと思います。

私のような一市民には想像も及ばないようなご苦労や葛藤、数えきれない困難があったのだろう――。

ご著書を読み返すたび、いつもそんな思いに包まれていました。

 

私自身も、人口500人ほどの小さな村で暮らす、一人の住民です。

パリのような大都市とは違い、日本のものや日本語の環境が自然に手に入るわけではありません。

自分から動かなければ、何も始まらない

そんな「フランス社会」の真ん中に、日々どっぷり浸かりながら生きる田舎暮らしです。

 

だからこそ、まだ幼いお子様を連れて移住された当時のお話を読んだ時には、そのご苦労を想像するだけで胸がいっぱいになりました。

 

言葉も文化も違う土地で、生活を築きながら、自分の信じるものを形にしていく――。

その道のりは、きっと私たちには計り知れないほど険しく、孤独な瞬間も多かったのではないかと思います。

 

最近特に礼拝堂のことを想い続けていた私にとって、6月6日の田窪恭治氏との再会は、言葉では言い表せないほどの感動と感激に包まれる時間でした。

当日は、前市長さんのご招待で集まられた方がおよそ50名ほど。

長年、田窪氏と時間を共にしてこられた方々が多くいらっしゃる中、恐れ多くも、私もその場に加えていただきました。

 

当時励ましてくださったことへの感謝を、直接お伝えしたい――。

そんな一心で参加させていただいた授与式でした。

「私にできることがあれば」とお伝えしたものの、今の私の日常は、ほとんど日本語の毎日です。

日本語をバイリンガルで話す息子と暮らし、目にするもの、読むものはほぼ日本語。

 

そんな中、突然「逐次通訳をお願い」と声をかけていただきました。

もちろん、逐次通訳など経験したこともなく、あまりにも突然のことで頭が真っ白に。

 

申し訳ないほど拙いフランス語だったと思います。

けれど、礼拝堂に関わってこられた皆さまが、温かく声をかけてくださいました。

大丈夫、ちゃんと思いは伝わってきたわ」

その一言に、どれほど救われたことでしょう。


そして、田窪氏が演説の中で“移住当時”のお話をされた時、さまざまな想いが一気に込み上げ、不覚にも涙が溢れてしまいました。

異国の地で、幼いお子様を育てながら、自分の信じるものを形にしていくこと。

その環境や孤独、覚悟を想像した瞬間、自分自身の移住当初の記憶とも重なってしまったのだと思います。

 

「歳を重ねると涙腺が緩くなる」とは、本当ですね。

自分でも驚くほど涙が止まらず、皆さまを少し驚かせてしまいました。すみません。


けれど、それほどまでに、この再会は私にとって特別な時間だったのだと思います。

会の様子は是非皆様もウエストフランス社のビデオにてご堪能くださいませ。


2013年に初めて田窪恭治氏にお会いした際、ご著書にいただいたサイン。

そして2026年6月6日、再び同じご著書にサインをいただく機会に恵まれました。

13年という時間を隔てて、同じ一冊の本に刻まれた二つのサイン。

それは私にとって、この年月の歩みそのものを象徴するような出来事でした。

 

 

2013年当時、まだ実現できていなかった「林檎の礼拝堂ツアー・ガイド」という夢。

どう形にすれば良いのか分からず、悩み続けていた頃に、勇気を出して送った一通のメッセージが、すべての始まりでした。

そしてその小さな一歩が、13年の時を経て2026年6月6日――ノルマンディーの地にとっても特別な一日に、多くの方々の体験談に触れる機会へとつながりました。



さらにその後、来月7月14日、フランスの革命記念日には、団体のお客様をご案内するガイドという形で、その夢が現実のものとなっていきます。

あの時には想像すらできなかった未来が、静かに、しかし確かに現実となって目の前に広がっていることに、今でも信じられない思いです。

 

振り返ればすべては、小さな一通のメッセージから始まりました。

そしてその積み重ねが、時間をかけて形となり、人とのご縁となり、今の自分を支えてくれているのだと強く感じています。


今、ちょうど人生の節目を感じる歳となり、田窪恭治氏をはじめ、先代の方々が築き上げてこられた歴史を、これからも丁寧に受け継ぎ、未来へと繋いでいけるよう努力してまいりたいと思います。


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